冷暖自知

今日の大阪は、雨が降ったり止んだりのお天気で、とても蒸し暑く不快な一日でした。こんな時は、なんだか身体がダルかったり、肩が凝ったり、体調を崩しやすくなります。長期の休みに備えて、体調を整えてからしっかりと遊びましょう。

さて今日は、「ふっと心がかるくなる 禅の言葉」より、「冷暖自知」をご紹介させていただきます。

冷暖自知 (れいだんじち)

浅草に慶應2年(1866年)創業の寿司の名店があります。そこの5代目主人は、先代から1度も寿司の握り方を教わらなかったそうです。

その先代もまた、握り方も仕込みの方法もすべて親方の仕事を見ながら、自分でやってみて身体で覚えたそうです。それが店の代々の流儀なのでしょう。

将棋の棋士の世界にも同じようなことが言え、何も教えてくれない師匠のおかげで強くなれたという棋士もいます。師匠が「一局教えてやろう」というときは、「見込みがないから破門する」という意味であったりするそうです。

「冷暖自知(冷暖自ら知る)」とは、水か冷たいか暖かいか、そんなことは人からああだこうだと説明を聞くより、自分で触ってみればすぐにわかることだ、という意味。

仏法や禅の真髄というのは、師に教わったり頭で学ぶものではなく、みずからの体験を通して会得し、悟る以外にはないということです。

子供の教育も同じでしょう。あれこれ知識ばかり与えても、自分で体験させてみなければ本当の知識は身につきません。クロールの方法をいくら言葉で教えても、泳げるようには絶対になりませんよ。

24年前、僕がインターンをさせていただいたオフィスでも、前述の寿司店と同様に見て習う所謂「見習い」でした。時々、「手先ばかり見てたらあかん。一歩引いて全身の動きを見るんや。」と、叱られました。

その頃の経験があって、どのセミナーに出席しても、有名な先生方の一挙手一投足を見逃すことなく全体を捉えることができるようになりました。

現在、僕が師と仰いでいる保井D.Cと菊地B.C.Scも、「見て習う」ことの重要性を強調されています。そして、「実践あるのみ」です。「目の前の患者さまと正面から向き合って、治療の効果を感じていただくことに力を注げ。」ということを教えていただきました。感謝です。